菊池日菜子が主演する映画『長崎―閃光の影で―』より、こだわり抜いた物語の世界観が伝わるメイキング写真と場面写真が9点解禁になった。テーマごとに監督自身のコメントも交えながら、その思いに迫る。 本作は、1945年夏。原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった若き看護学生の少女たちの“青春”を描く。監督・共同脚本を務めるのは、1984年生まれで長崎出身の被爆三世である松本准平。大学在学中に映画を作り始めた頃からいずれ原爆を題材にした映画を手がけたいと考えていた願いが、長編6作目となる本作で実現した。
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■ 原爆によって破壊された、1945年の人々の暮らし
スミ(菊池)、アツ子(小野花梨)、ミサヲ(川床明日香)が長崎に帰郷して8月9日を境に状況が一変するまで、映画の冒頭ではそれぞれのささやかな日常が描かれていく。スミが自宅で母親の手伝いをする場面では、洗濯板を使って手洗いするシーンも。松本監督は「こうした暮らしが破壊されるということをきちんと伝えたかったんです。当時の生活様式も取り入れながら日常を描く必要があることを、脚本を書いている頃から考えていました」とコメントする。
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■ 原爆投下時の閃光と音をどう表現したか
原爆投下時の閃光について、監督によると、これまでの映画では真っ白に色が飛んでいるような描き方になっているという。その上で「色んな記録を読んでいくと、白ではなく七色に光ったようで、証言によって紫や青、黄色とか表現が本当に様々なんです。当時の証言に忠実でありたいと思い、この映画ではカラフルに様々な色素を含んだ表現にしています。この表現はこれまで誰もしていないものだと思います」と明かす。
原爆投下直後に起こる轟音は、本作の録音とサウンドデザインを担当した紫藤佑弥からの提案で、HIKARI監督の新作『Rental Family(原題)』をはじめハリウッドの数々の映画やゲームなど幅広いジャンルの音響部門で活躍する仙崎ケビンがサウンドエフェクトとして参加。日本の制作環境とは異なるアプローチによる音の構築に取り組んだ。
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■ 監督の強いこだわりで再現された救護列車
長崎での原爆投下直後、負傷者を治療するために県内各地に運んだのが“救護列車”だ。本作では、8月9日当日にミサヲと重症を負った父親・信行(萩原聖人)がなんとかこの列車に乗り込む重要シーンとして描かれる。このシーンの撮影のために当時の面影を残す現存の列車が使用されたが、これは監督が制作の現場からの反対を押し切ってシーンとして残したものだ。その理由について「長崎における被爆者救護において、重要な役割を果たしたのが救護列車です」と説明。「長崎から外に避難するための方法が当時は列車しかなく、当時のことを描く上で外せないものでした。原爆直後の惨状を描いた映画は、僕の知る限り『ひろしま』(1953)しかありません。次にいつ本作のように長崎の状況を描く作品が作られるか分からない中で、救護列車を描かないことはありえないと思いました」という強いこだわりによって再現された。
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■ 解体寸前の小学校舎を使ったシーンで配置した、意外なもの
本作における主な舞台となる救護所は、旧余呉小学校(滋賀県長浜市)で撮影が行われた。講堂は昭和2年築、校舎は昭和32年築という、映画の時代に近い貴重な建造物を使用(現在は解体済)。校舎を利用して行われた救護所のシーンのために、監督はくさやを持参。「多くの被爆者の方たちが死体の腐敗臭がすごかったことを証言されていて、感覚としてそれを意識できるようにくさやを用意して近い環境にしたいと考えました」とその理由を語る。看護師たちがあふれかえる被爆者を救護するシーンではそれをそこかしこに置き、俳優たちが感覚として当時の状況をイメージしやすいよう工夫も凝らしたそう。
この救護所は、原爆投下前までは小学校として使用されていた設定だ。この校舎で撮影された教室の壁に貼りだされた半紙に書かれた言葉は、監督が指示したもの。「小学生らしくもっといろんなことも書かれていたかもしれませんが、当時、そういう教育がされていたという時代背景を示したかったんです」と説明する。
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作品内で時計が何度も描かれる理由とは
■ 爆心地のパノラマ写真がスクリーンに現れる
物語の終わりにスミが一面焼け野原になった高台を訪れるシーンでは、実際に撮影をした場所の背景に写真家・林重男が長崎の爆心地を捉えたパノラマ写真をVFX合成した。
■ 目に映るものへのこだわり
原爆投下の瞬間にスミが乗っていたバスは、当時のものに近いバスが個人所有により現存することを探し出して使用したものだ。監督がこだわったのはこのバスに限らない。「視覚的に時代を表現するものについては、制作部などにはできるかぎり粘って当時のものを見つけてほしいとお願いしました」と振り返る。
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■ 刻まれ、過ぎゆく「時間」
本作では、時を刻む壁時計や、スミが常に身に着けている父親の腕時計をはじめ、観る者に“時間”を意識させる描写やモチーフが数多く登場する。「“時を刻む”ということは、この映画でも強く意識した部分です」と語る監督は、原子爆弾がさく裂した11時2分をはじめ、スミたちが時間を忘れ救護活動に没頭していくことを例示。また、「当時から時間が経過し続け、今年が原爆投下から80年と時は離れ続けていく一方で、世界に目をやると新しい戦争が変わらずに各地で起きていることを観ている方に意識してほしいとも思いました」と語る。
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■ 1945年8月の長崎市の気温
監督は、物語の舞台と同じく真夏に撮影をした方がいいと当初は考えていたが、リサーチであたった長崎原爆戦災誌(長崎市編)などにより1945年8月当時の長崎市の最高気温が27度ほどであったことを確認。本作の撮影は2023年10月に約1ヵ月にわたり行われたが、この時期の気温は1945年8月の長崎の気温とほぼ一緒なのだ。
■ 一番大切にしたのは“寄り添う”こと
長崎の原爆被害の実像や1945年という時代を描く上で一番大事にしたことについて、監督は「映画として表現できることに限りはありますが、だからこそ当時の方々の思いに寄り添いたいと思いました」と強調する。「被爆者の方たちはもちろん、当時のことに対して極限まで想像力を働かせて、できる限り近づくということは僕にとってのテーマでした。役者さん達にとっては大変だったと思いますが、それをやっていただきました。それを通して出てくる生々しい感情を撮りたかったんです」と振り返る。
映画『長崎―閃光の影で―』は、7月25日長崎先行公開、8月1日全国公開。
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